ハワイアンのスピリットの柱にはもうひとつとても大切なものがある。
フラカヒコ
本来男性のものであるフラはハワイアン文化の弾圧の影響でロミロミと同じくかつての形と違う姿で現在まで伝承されてきた。
もちろん現代フラの中にも元々の「祈り」や「鎮魂」のエネジーは息づいている。
けれど、初めてハワイでカヒコの舞を見たときの私の魂の震えようといったらなかった。
アウアナ(現代フラ)の中にはないパッションとスピリット、もっというといい意味での暴力性を感じた。
ロミロミをlifeにし、liveにしていくのなら、フラも知っておきましょうと私のロミロミのクムは言った。
けれどその時の私には、アウアナは踊れなかった。
理由はいくつかあるけれど大きくは、可愛い衣装をまとって、優雅に踊る自分はまったく想像できなかったのと端的にリズム感が皆無で運動という運動にまったく縁がなかった私は、ステップというステップがまったく踏めなかったからだ。
そして何より人々へ魅せるshowとしてのフラを自分が踊ることに違和感があった。
アウアナフラは眺めるもの。
カヒコの時は一緒に祈るもの。
私の中でのフラの形はこうだった。
そんな私に2017年の秋頃から、とにかくフラを。と事あるごとにメッセージが降りてくる様になった。
踊れ。
舞え。
その頃からご贔屓さまからのセッションの感想が変わってきた。
穏やかさの中にエネルギッシュをすごく感じるとか、
力強いお姉ちゃんが来た、とか。
なんとなく、ペレかねーなんてクライアントさんと話し混むことが増えてくる。
自分の中に今までなかった、本心からの「フラを舞いたい」「フラと向き合いたい」という感情が日に日に強くなってくる。
友人であり、同じくロミロミセラピストである泉ちゃんに「ちょっとまじで本気でフラしたいんじゃけど」と私はいつもの調子で彼女にお願いした。
そう、泉ちゃんはフラも踊れる。
私は人から何かを伝えてもらう時、フォーカスが人である。
その人がそれをどれだけ愛してるか、どれだけ大切にして大自然に感謝しているか。
べつにそこにタイトルやディプロマは必要ないし、
かしこまったお教室も必要ない。
フラだけで無く、なんでもそうだ。
彼女は魂から大自然に愛を送っているのを知っているし、ハワイにも、ロミロミにも、そしてフラにも愛を見出してマインドではなくスピリットで体現しているのを私は知っている。
快く、彼女はokayを出してくれた。
「マナちゃん、フラ踊る様になると女性性の部分もっと輝くね」なんて嬉しいことも伝えてくれた。
少し話が逸れるけれど、私は自身の女性性を存分に発揮することを恐れていた節がある。
単にめんどくさかったからで片付けてしまうけれど。
そんなこんなで昨年末から私のフラと向き合う旅が始まったわけで、嬉しいことに一緒に参加してくれる方もいたりと、自分なりにフラを感じていこうとしていた。
当時は無理だと思ったアウアナも、ブリブリのパウ(スカート)を履かなくても自分なりのドレスを着れば良いし、なにより、showとして人に見せるアウアナではなく、いま私たちが暮らしているこの土地へ奉納するフラをと決めたとき、自然に心は開いた。
いずちゃんもかしこまらず、自然な形で緩くやっていこうと伝えてくれて、月に1度のフラの時間が楽しみになっていた。
それが今日。1/22日。
今年初めてのフラの時間にカヒコの話になった。
ハワイ島のフラカヒコのクムがキラウエアと阿蘇を結ぶと。
ペレの様に厳格で笑顔を滅多に見せないそのクムが、阿蘇を仰いだ時
とても穏やかな笑顔を見せて、ここはペレのエナジーが渦巻いていると。
阿蘇への奉納のため、ハワイ島から彼女がやってくる。
アウアナフラに関しては私はあまり知識はないけれど、日本のフラは協会制度がかなり厳しく、
流派の囲い込みが大きい。あなたのクム(師)はわたし、だから他処でのフラ参加は禁止、だとか。けれど、ハワイ島のクムと彼女に師事している日本のクムはそんな協会の壁なんて取っ払ってとにかく阿蘇へ、日本の土地へとの想いだけでカヒコを舞う。
震災で怒り狂った土地へ。祈りと鎮魂を込めて。
その時、一緒にカヒコを踊らないかと。
私の中の火のエレメントがぼっと熱くなるのを感じた。
この想いこそがフラの本質ではないか。
フラは祈りである。これこそが。
やれ〇〇協会だ、何万円もする高価なお揃いの衣装をまとって、そのくせ大切なレイは造花で。
本来のカヒコは裸体に局部はティーリーフで申し訳程度に隠すだけ。
そう、その土地の植物に感謝と祈りを込めてレイを編むのだ。
今日から私のフラにカヒコのエッセンスが染み入った。
穏やかなハワイアンミュージックなんてない。
イプが刻むリズムといずちゃんのメレ(唄)だけがスペースに響く。
瞬間、私に聞こえていたのは自分の息遣いと最初のチャンティングの余韻だけだった。
ほんの一瞬、ロミロミをしている時と同じ意識状態に入った気がするけど、
マインドがすぐ、ステップや腰の動きへ移動する。
けれど全くその時、私のなかの感情は充足感と暴れ出しそうな暴力性とパッションだった。
初めて他所でアウアナのレッスンを受けた時のステップを踏めないもどかしさや、可愛い衣装をまとう小っ恥ずかしさは其処には皆無だった。
今日のレッスンは今までにない倦怠感が身体をまとったけれど
私のなかのペレがもっともっとと暴れ出す様な感覚が拡がる。
帰りの車の中で、いずちゃんと少し話した。まさかこんな素晴らしい話になるとはと。
先ずはゆるく、フラを知れて、舞えて、自身の土地へ奉納できればと感じていた私。
昨年秋からのフラを舞えとうるさい声がここへ繋がって来るのかと。
マカプウポイントでのメディテーションとペレの椅子のエナジーがあの時私の中で同じでひとつになったときに感覚が、
今日、還ってきた。
今年久し振りにゆっくりとHawaiiへ帰ろうロミロミをアップデートしようと衝動的にチケットを取ったのも新しくまたなにかを思い出すためだろうと変な確信が強くなる。
そして、
2018年10月に阿蘇できっとまた何かを思い出すんだと感じる。
Marina Ailani